高梨茶園の初代から現在までの歩みをご紹介いたします。
高梨茶園のはじまり
高梨茶園がある、ここ秦野は、かつてはたばこの栽培が盛んな地域であり、明治40年(1907年)には御飲料たばこ(皇室に収めるたばこのこと)を納める優良産地として指定されるなど、歴史や品質、生産量など全国的に有数の産地でした。
高梨茶園の初代 高梨伊助・二代目 高梨弘もこのタバコの栽培に従事していました。
しかし、秦野市でも最も北部の傾斜であり、夏は局地的降雨、冬は丹沢おろしなど、ほかの地域より気象の変化が多い場所であり、タバコの葉の栽培に大変苦労したそうです。さらに、タバコが次第に減退していく時代で、新たな工作の可能性を模索していました。
その頃、この地域が茶の適地であると栽培を進められ、秦野で初めてタバコ作や、野菜作に代わる転作物として取り入れられました。最初は「やぶきた」の実生を播種したが、昭和30年頃より「やぶきた」の苗木に切り替え、以後、栽培面積を増やしていきました。
歴史
昭和28年 | 秦野の名産である、たばこ・落花生・麦に加え、茶が山間地のこの地域に適しているということで、秦野で初めて茶の種をまく 二代目 弘と家族(一番左:三代目の孝) |
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昭和34年 | 農協共同工場にて茶の製造を始める 秦野で最初に茶の種を蒔いた、やぶきた実生園 |
昭和41年 | 共同工場より独立し、個人で製茶工場を建設する |
昭和45年 | 工場の規模拡大を図ると同時に、小売りを始める |
昭和51年 | 3代目高梨孝が静岡県茶業試験場入所 |
昭和54年 | 静岡県の茶農家で修行を積む |
昭和55年 | 3代目孝、秦野に戻り家業を手伝う 就農当時の様子 |
昭和61年 | 第18回神奈川県茶園共進会 農林水産大臣賞 |
昭和63年 | 4代目 高梨 晃 生まれる |
平成2年 | 小学生手もみ茶体験受け入れ開始 |
平成3年 | 本格的に小売販売をはじめ、関東各地で催事を行う |
平成11年 | 所有する山林から切り出した木材を使い茶工場増築 機械導入 |
平成17年 | 手もみ茶体験会を始める
多くの人の力を借り、竹藪を切り開き、放置された茶畑の復活にあたる |
平成18年 | 4代目高梨晃、独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 野菜茶業研究所 入所
全国手もみ茶技術競技会 茨城・宮崎の仲間と共に、優秀賞受賞 |
平成20年 | 茨城県さしま茶の産地で研修を行う |
平成22年 | 第42回神奈川県茶園共進会 農林水産大臣賞受賞 |